琉球漆器こぼれ話 ⑧金城聡子/浦添市美術館学芸員
二十四節気のうち春分の次は晴明。
今年(2017年)は4月2日からスタートしました!
この時季に行われる晴明祭(シーミー・御晴明祭ウシーミーともいう)は
中国から伝わり、琉球王府の年中行事ともなった先祖供養の行事です。
今では本島を中心に一般に広まり、ゴールデンウィークの頃まで一族や
家族単位でお墓を参ります。
御先祖様へ御酒や御茶、重箱に詰めた餅や重箱料理(三枚肉・かまぼこ・
昆布料理などの詰め合せ)・果物・菓子を供えて墓前でご相伴。
ちょっとした行楽気分です。盆や正月さながらに市場やスーパーは活気づき、
週末ともなると各地で交通渋滞が発生。「沖縄ではお墓の前で宴会をする」
などといわれますが、れっきとした行事でアイデンティティを確認する良い機会なのです。
なかでも、王国時代の名残である伊是名島の玉御殿公事晴明祭は特別です。
琉球王国の第二尚氏王統の始祖尚円王(しょうえんおう・1415~1476年)は
伊是名島の出身ですが、島内の玉御殿は尚円王の父母と姉のほかに
首里士族と同じ身分を与えられた島の一族の墓です。
その一族の筆頭である銘苅家は役回りとして、首里の玉御殿(王陵)の晴明祭に
使用する品々を献上していました。琉球王国が崩壊する寸前の1870年に、
王府は首里の公事晴明祭を伊是名玉御殿でも行うように道具を与え、
料理やその配列にいたる詳細なマニュアルを残しています。
重箱料理の略式とは異なり、幾つも器がならぶ豪華なものです。
一時途絶えたものの、村が継承して毎年行われ、
ごく最近まで食籠や足付盆・天目茶碗や天目台など当時の道具を使用し、
その姿を目にすることができました。現在は漆工品のほとんどが修復されて
代替品を使用しています。写真はオリジナルの道具を使用していたころの様子。
今は伊是名村ふれあい民俗館に展示されています。
写真:20年ほど前の伊是名島玉御殿公事晴明祭(金城撮影)
図:古文書に記された料理と配列の一部